綾部市内をとうとうと流れる母なる川、由良川。丹波、若狭、近江にまたがる三国岳などに源を発し、上流部の美山や和知などでいくつもの流れを集めて水量を増し、綾部の大地を潤している。市内でこの由良川へ注いでいる支流に上林川や犀川、八田川などがあるが、その流域には遠い祖先の生活の歴史を刻んだ多くの古墳や遺跡が、所によってはまさに密集状態にある。
豪族たちを葬った壮大な古墳が多く造られた古墳時代。弥生時代に次ぐほぼ3世紀末から7世紀にかけてがその年代になる。畿内を中心として様々な文明、文化が発達した時期で、当時流行した古墳の築造は、統一国家の成立・発展とも密接な関係がある。
由良川中流域の王の墓と目される古墳が市内にある。言わずと知れた「私市円山古墳」であるが、古墳は何も豪族など権力者だけのものとは限らない。中央集権の国家体制が成立する以前の古墳時代に造られた古墳が由良川中流域で1千基以上確認されている。それらのほとんどは小さな方墳か円墳で、こうした庶民クラスの古墳も多数存在する。一方で、多田町の「聖塚(ひじりづか)古墳」や「菖蒲塚(あやめづか)古墳」のように大型の方墳や円墳が存在し、この地方の古墳文化の独自性を垣間見ることができる。
綾部で最も有名な私市円山古墳は、かつては城跡と見られていたが、舞鶴若狭自動車道(当時は近畿自動車道舞鶴線)の予定路線にあり、建設に先立って昭和62年から63年にかけて発掘調査が行われた。その結果、古墳時代中期の大型円墳であることが分かった。墳形や規模、副葬品など、どれを見ても丹波地方では最大の規模を誇る。
だが、市内の古墳はこの私市円山古墳に尽きるものではない。古墳の宝庫とも言える豊里地区など、身近な古墳の存在にふれることは、古里発見にもつながる楽しみもある。しかし、くれぐれも地面を掘り返したりしないように、マナーを守って見学して頂きたい。
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