東北帝国大教授で日本思想史学者の
村岡典嗣の墓が広瀬町に?
山家今昔写真の会の有志ら調査
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山家今昔写真の会 (有道大作会長) の有志10人が16日、 広瀬町の墓地にあるとされる東北帝国大学教授で日本思想史学者の村岡典嗣に関係すると思われる墓の調査をした。
村岡典嗣は明治17年東京生まれだが、 父親は山家藩の儒家で広瀬町に住んでいたと思われる。
早稲田大学哲学科卒業後、 ドイツへ留学し、 ジャパンデーリーヘラルドなどの外字新聞の記者をしながら、 同44年に 「本居宣長」 を上梓。 これが認められて大正13年に東北帝国大学文学部教授となり、
同大学に日本思想史学科を創設した。 その後、 昭和21年に没した。
大正から昭和初期にかけての大学者だが、 典嗣が山家にゆかりのある人物だと知る人は少ない。 このため、 山家地区の歴史遺産の再発見活動を行っている同会では、 同地区にある典嗣の足跡を検証しようと、 村岡典嗣のものと伝わる墓の調査をした。
参加者らは初めに墓に線香を供え、 花を手向けて黙とうしたあと、 コケに覆われている墓を掃除。 墓碑銘や墓石の後ろに彫られている銘文の判読をした。
墓には戒名が記されておらず 「村岡典猷」 と刻まれていた。 しかし、 書体が独特であるため 「猷」 の字の判読が難しく、 正しいかは不明。
裏面にはこの墓を建立した年月日や、 墓の主の縁者などの名前が記してあった。 それによると、 墓は明治25年に建立されたもので、 立てたのは典猷の子どもである典安。
縁者の名前の中には 「孫典継」 という文字があり、 典安は典嗣の父親であるため、 この墓は典嗣の祖父の墓の可能性が高いという。 同会では 「今後、 山家地区と村岡典嗣の関連を詳しく調べていきたい」 と話している。
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