「経塚」は五泉町にもあった!
以前から言い伝え
近澤・市資料館長が現地確認
約800年前、有力者が設置か
国の平和願って経典を埋納
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800年ほど前のものと見られる経典を地中に埋めた 「経塚(きょうづか)」
がこのほど、 五泉町の山中で見つかった。 以前から地元住民の間でうわさになっており、
市資料館 (里町) の近澤豊明館長が初めて現地確認をした。
経塚は、 現世での頻繁な災害や治安の悪化を背景に仏教が衰えるとされる 「末法思想」
が流行した平安時代末期から鎌倉時代にかけて、 主に貴族や武士などの有力者が国の平和を願って造った。
経典を入れた筒を壺(つぼ)のようなものに納め、 これを地面に埋めて石で覆ったもので、
上野町の 「藤山経塚」 のほかにも全国各地で発見されている。 ただ、 古墳があるような所よりも更に奥まった場所に造られるため、
見つかりにくいという。
この経塚が五泉町の山中にあると地元で伝わっていたことから、 近くに住む藤ア敬常さん
(67) の案内で近澤館長と綾部史談会副会長の川端二三三郎さんが現地を訪れ、
経塚であることを確認した。
確認された経塚は一辺約3メートルの四角形で、 高さは約80センチ。 「積石(つみいし)塚」
と呼ばれるタイプで、 周りには数多くの石が置かれている。 この塚の中心あたりに経典が埋納されていると思われるが、
近澤館長は 「経典は紙なので、 なくなっている可能性もある」 と話している。
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