綾部大橋が国の登録有形文化財になったのは今年7月12日。 同橋はこれまで以上に市民の注目を集めることになった。
登録有形文化財の制度は、 近年の国土開発や都市計画の進展、 生活様式の変化などで社会的評価を受ける間もなく消滅の危機にさらされている近代の建造物の中で、
まちの歴史的景観を保持しているものなどを後世に継承していくことを目的に、
平成8年の文化財保護法一部改正で導入された。
これまでの登録件数は全国で4805件。 京都府内では197件に上るが、
綾部大橋は橋としては京都市伏見区の近鉄澱川橋梁(よどがわきょうりょう)に次いで2例目となる。
綾部大橋は綾部の町を象徴する由良川に最初に架かった近代橋であり、 明治末期から昭和初期に流行したボーストリングトラスの形式を採る。
1スパン30メートルの弓状のトラスを7つ連続して架け渡しているのが特徴で、
静岡県の安倍川に架かる安部川橋に次ぐ多径間の橋になっている。
ボーストリングトラスの橋は全国各地に普及したが、 通行車両の大型化により次々と架け替えられて姿を消したり、
現存しているものでも移設や改編されたのがほとんど。 その中で綾部大橋は、
若干の修復が行われているものの、 架設当時からほとんど形を変えず、 更には現役の橋として利用されているという点が評価された。
では、 全国のボーストリングトラス橋の多くがその使命を終えていく中で、
なぜ綾部大橋が残ったのか。 それには次のような理由が考えられる。
市街地と国道27号を唯一結んでいた綾部大橋は、 幅員が狭いうえに老朽化し、
自動車の普及に伴う交通量の増加で地域産業の発展に大きな支障をきたしていた。
そんな中、 昭和49年に市街地を東西に貫く都市計画道路 (現府道福知山綾部線)
が開通したことで交通の中心は丹波大橋へ移り、 車幅の狭い綾部大橋は架け替えを免れる。
更には48年の改修で高さ制限が加えられたことが、 橋の劣化を防ぎ、 今日まで残る要因となった。
明治33年発行 「何鹿郡案内」 には、 当時の三宅武彦・何鹿郡長が選んだ 「綾部八景」
の一つに旧綾部橋が掲載されている。 そこには 「綾橋春漲」 とあり、昔から橋周辺の風景が綾部を代表する名勝の一つであったことがうかがえる。
76年という歴史を刻み、 文化財としてその価値が評価された綾部大橋も綾部の風景を語るうえでなくてはならない存在であり、
これからも末永く市民に親しまれていくことだろう。
=おわり=
(岡田圭司記者)
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