綾部市内で24人の死者と1人の行方不明者を出すなど、 綾部の戦後の災害史上で最大の被害をもたらした台風13号が襲来したのは昭和28年9月25日。
当時、 市職員だった上野町の町井貞一さん (99) =写真=は、 綾部大橋の近くで建設中だった並松町の市浄水場付近にいた。
施設はほとんど完成していたが、 由良川のそばにある取水口のふたが取り付けられていなかった。
台風13号の豪雨で由良川の水位はどんどん上がる。 危機感を感じた町井さんらは、
一刻も早くふたを設置しようと作業を進めていた。
激しい雨で対岸が白くかすむ。 「ちょうど、 すりガラス越しに見ているような感覚で、
対岸にあった松並木も見えなかった」 と町井さん。 ふと上流に目をやると、
並松町寺下辺りで流れが90度近くカーブしている由良川の水面が、 味方町から並松町側へ向かって遠心力で斜めに傾いて見えたというのだ。
「あれだけ大水になるとは思わなかった」
やがて、 由良川は氾濫(はんらん)し、 町井さんの膝(ひざ)あたりまで水がつき、
標高の低い家屋は浸水を始めた。 危険を感じた町井さんは、 浄水場の施設に避難。
水かさがピークに達した時、 町井さんは綾部大橋の親柱が水面の上で立ちはだかっているのを目にし、「綾部の町を守っているようで頼もしく感じた」
と、 その時の光景をはっきり覚えている。
ちょうどそのころ、 対岸にいた味方町の西村勝美さん (84) は消防団員として人命救助に当たっていた。
町内の由良川沿いの家を回り、 残っている人に避難するよう呼びかけるが 「中には
『家と一緒に流されて死ぬから、 ほっといてくれ』 と言う人もいた」 と振り返る。
そして綾部大橋は、 「橋脚に太い材木がもの凄すごい勢いで当たっていたが、
橋はビクともしなかった」
こうして綾部大橋は、 通称 「28水」 とか 「28災」 と呼ばれるこの大水害を耐え抜く。
しかし、 あの時、 町井さんが目にした綾部大橋の親柱は、 昭和40年代に橋の改修で取り外されたのがきっかけで、
並松町の市民センター前に放置されていた。
その親柱を 「大水害に耐えた橋の象徴として安置できないものか」 と考えた町井さんは市民らと協力し、
28水から丸50年を経た平成15年9月25日、 味方町の紫水ケ丘公園内に 「水の記憶の碑小公園」
を整備し、 親柱を移した。 28水の激流に耐えた親柱は、 これからも静かに由良川を見守り続ける。
(岡田圭司記者)
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