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時代の架け橋 登録文化財 綾部大橋の76年(1)
近代的建造物として貴重な綾部大橋

綾部の移り変わり見続ける「時代の生き証人」

76年前 町民歓喜の竣工式

繁栄極める「蚕都」の近代化の象徴

 ニューヨーク・ウオール街の 「暗黒の木曜日」 で知られる 「世界恐慌」 が起こった1929年 (昭和4年) の6月8日。 京都府北部の綾部町は、 町民たちの歓喜の声に包まれた。 この日は、 町民にとって長年の悲願だった鉄骨コンクリート造りの 「綾部橋」 が誕生した日だった。

 現在、 国道27号と市街地を結ぶ道路橋は 「綾部大橋」のほか、「丹波大橋」や「新綾部大橋」があるが、 明治初頭まで由良川には橋が1本もなく、 日常的に川を渡る手段としては舟しかなかった。

 綾部町誌によると、 綾部町内の由良川に仮橋が架けられたのは明治9年ごろ。 27年11月に本格的な木造橋が初めて完成したが、 29年8月の洪水で流出。 31年5月に現在の綾部大橋の場所に出来た新橋も木造で、 翌32年8月に再び流れ落ちた。 その後も洪水のたびに橋の修理を繰り返す状況だった。

 そんな中、 大正から昭和初期にかけ全国各地で架設されていた 「ボーストリング・トラス」 と呼ばれる鉄骨構造の橋が綾部の地にも姿を見せた。 昭和4年6月8日に行われた渡り初め

 竣工(しゅんこう)式の当日、 式典に続いて全長約210メートルの真新しい橋の渡り初めが行われた。 先導を務めたのは綾部町神宮寺の梅原兼吉さん(71)・いよさん (72)、梅原清太郎さん (48)・ツヤさん(49)、梅原惇太郎さん(24)・貴美恵さん(18)=年齢はいずれも当時の満年齢=の3世代夫婦だった。

  「綾部高校創立百年周年誌」 には当日に配布されたチラシが掲載されている。 それを見ると、 味方町側の河原には飲食物の模擬店が立ち並び、 打ち上げ花火や仕掛け花火、 ボートレースといった数々のイベントも催され、 祝賀行事が盛大だったことがうかがえる。

 また、 この日のために 「綾部橋渡橋式の歌」 が作られ、 綾部幼稚園の園児たちが合唱している。 3番からなる歌の歌詞は次の通り。

 一、 由良の流れの水清く 湛ふる處並松に 架け更へられし綾部橋 今日ぞめでたき渡り初め
 二、 石を固めし橋臺に 長くかかれる一文字 水にさかさの欄干も 電氣の色もうつくしや
 三、 川のけしきも人々の 往來も増して我が郷の いよいよ榮えん基なる 御代のめぐみをたたへなん

 チラシには綾部駅の時刻表も載せられている。 祝賀行事の参加者の中には綾部町以外からの人も多く、 時刻表が不可欠だったのだろうか。 ちなみに当時、 綾部発の最終列車は京都行きが午後8時28分、 福知山行きが午後11時4分、 舞鶴行きが午後11時47分だった。

 国内では、 まだ不景気風が吹き荒れていたが、 このころの綾部は 「蚕都」 として繁栄を極めた時期。 綾部大橋は、 綾部の近代化の象徴でもあった。    (細見仁史記者)