高倉町の倉神社では毎年夏の土用(立秋前の18日間のことで、 1年中で最も暑い時期)の丑(うし)の日に 「天(てんいち)さんの土用の丑祭」
が行われます。 この祭りについて、 宮司の四方幸則さん(70)=里町=に尋ねました。
平安時代の末期、 源氏から平家打倒の戦を仕掛けられた高倉宮以仁王(たかくらのみやもちひとおう)は宇治で敗戦。 「流れ矢に当たり亡くなった」 と嘘をつき、 丹波に逃げてきて現在の綾部の吉美に着きました。
治承(じしょう)4年(1180)6月、 以仁王はお腹の傷の激しい痛みに耐えながら 「こんなにも苦しい腹痛を後の世の人々が味わうことのないよう、 私が死んでしまった後は、 すべての人を腹痛から救い守る」 と言って亡くなったと伝えられています。
翌年、 現在の場所に 「倉天一大明神」 として以仁王を祀(まつ)る倉神社が造られました。 世直しの神、 五穀豊穣、 万病平癒、 特に胃腸病に効く、 腹痛を助けてくれる神様とされています。 土用の丑祭では、 寝冷えや冷たいものの食べ過ぎなどでお腹をこわしやすいこの時季に、 人々が元気で夏を過ごせるように祈ります。
「五葉(ごよう)の笹(ささ)」 という風習もあります。 神社の境内には昔から笹がたくさん生えていました。 笹の葉には、 人間の体内の大切五臓(心臓、肺臓、肝臓、脾臓、腎臓) を活性化させる成分が多く含まれています。 昔の人は、 手の形をした五葉の笹を境内から探し出して家に持ち帰り、「以仁王の優しい手」 としてお腹に当て、 お腹が痛くならないようお願いしたそうです。
最近は吉美地区の夏祭りも同時に行われるようになりたくさんのお参りの人で賑わいます。 今年の祭りは7月30日に行われます。
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