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あやべ西国観音霊場巡り (17)
久香寺、妙徳寺

番外第六番 久香寺(梅迫町)

毎年7月に「愛宕大祭」

 寛永十三年(一六三六)、時の領主・谷衛信公の祈願所として開創され、明治までは檀家を持たない寺であった。

 開創当時、梅迫地域には火災が多発し、多くの領民が大層苦しんでいた。それを知った領主が京都の愛宕山から権現の分身をもらってきて、火を尊ぶ神とし、疫病や水害、飢饉(ききん)の災難よけ祈願をして当寺の裏山の頂上に愛宕堂を建立した。

 「火(陽)はなくてはならないもの。使い方によってありがたいものにも、恐ろしいものにもなります。感謝し崇(あが)めて大切に使わせてもらわなければなりません」と能勢真乗住職。七月二十四日には愛宕大祭が盛大に行われ、多くの参拝者でにぎわう。

 当霊場会ができる際、住職が、あることに気づいた。それは、音を聞いたり様子を見たりして人の悩みを察し救ってくれるという准胝(じゅんでい)観音がないこと。そこで、この観音様を本尊にすることに決め、中本山である舞鶴の円隆寺から寄進されたものを祀(まつ)ることにした。

 准胝観音とは密教の女性尊で、仏母(仏の配偶者的要素を持った配偶尊)とも言われる女性的な性格の仏様とされている。夫婦愛、他人敬愛、延命、安産、求児などを祈願する仏様とか。

 納まっているのは、観音堂の正面の高さ約五十センチほどの厨子(ずし)の中。池のハスの上に二つの龍王が立ち、座した観音様を持ち上げている珍しいものだ。



番外第一番 妙徳寺(渕垣町)

陶芸家和尚で知られる


 国道27号沿いに立つ石塔を見て東に入ると、正面に鳥居。「あれ?」と思ったけれど、すぐに隣接した当寺が見えた。

 白い練り塀に沿って境内に向かうと、気持ちがシャンとする。

 「宗教者は世界の平和を願うもの。すべてのことに関して別(わ)け隔てのないもの。和まないと仲良くなれない」を信条とする村田弘道(陶石)住職は、朝一番に隣の神社や高倉、篠田などのお宮参りをし、帰ってから寺のお務めをすることもしばしばあるという。

 本尊は十一面観世音菩薩。四方八方を見て困っている人を探し、助け救うために、正面の顔の上にも顔、左に三面、右に三面、後ろにも三面の顔がある。

 「観音様は何でもご存知だから、仏に心を捧(ささ)げ任せて無心になって当面のことを頼むだけでいい」と教えて下さったが、その無心になるというのが難しい。

 無心になるには、とにかく心をこめて「南無観世音菩薩」や「南無阿弥陀仏(あみだぶつ)」を唱えるんだとか。

 お墓参りにしても、故人をしのび安らぎの心で暮らさせてもらっていることを感謝する平和な心が先祖の一番の供養という。

 「いつも忙しいので、今日はお寺に昼寝しに来た」と言われるような寺になりたいというのが住職の願い。

 境内の隅に常楽庵という陶芸工房を持つ住職は、作陶四十余年の陶芸家。書にも長たけていて、中国を何度も訪ね友好を深めている。


                     ◇
【終わりに】
今回で、無事に「あやべ西国観音霊場」を巡り終えることができました。どのお寺にもそれぞれの由緒や歴史があることに感動し、古里・綾部への誇りがより深くなりました。
地域の人々や檀家の人たちの心のよりどころになっていることをひしひしと感じたほか、ご住職たちがそのために日々精進、努力されていることもよくわかりました。
私にとっても、とても意義が深く、たくさんのことを学ばせてもらえた企画でした。
長い間読んでいただいた読者の皆様、ありがとうございました。そして、お忙しい中、取材に応じて下さったご住職、お寺の関係者の方々に心からお礼を申し上げます。
(塩見光子)


2000年(平成12年)12月8日付 掲載