第二十六番 安国寺(安国寺町)
釈迦三尊座像が重文に
足利尊氏生誕の地として有名な当寺は、一三三四年に三十六歳で将軍になった尊氏が夢窓国師の勧めによって、敵味方の区別なく亡者の霊を慰めるために全国六十八カ所に建立した安国寺の中でも筆頭とされている。
参道の左側には、尊氏が生まれたときに使った産湯の水を汲(く)んだと伝えられている井戸が今も水をたたえている。その先には、母清子が里帰りをして尊氏を出産したという所があり、現在は公民館が建っている。
境内に入ると正面に、かや葺(ぶ)きの仏殿がある。安置されている本尊の釈迦(しゃか)三尊座像は、国の重要文化財審議委員が解体し、カメラを入れて調べた結果、一三四一年に制作されたことが分かり、今年六月二十七日に府の登録文化財から国の重要文化財に指定された。
達筆だった清子の七十四通の手紙、清子が懐妊や安産を祈願したという子安地蔵など貴重な文化財が多く残されている。
案内して下さったのは総代の大槻正則さん。「誰(だれ)かに言い残しておきたい」と自分の死を悟った先代の和尚から一週間で寺の歴史や由緒等々を学んだ。説明をしながらユーモアを交え、時にはお上手も、そしてさりげなくお寺の宣伝もするという見事さ。先代の目に狂いはなかったようだ。
十一、十二の両日はもみじまつりが開かれ、いろんな催しがある。
番外第三番 雲源寺(梅迫町)
「龍頭骨」で雨乞い祈願
境内を見上げると、樹齢百年を超える立派な枝垂れ桜が目に止まる。その桜を軸にして見事な庭が本堂へ、鐘楼へ、高所の観音堂へと広がる。
この庭は、桜の落ち葉に手を焼いた梅垣周徹住職が落ちる場所を減らそうと作ったもので、すべて住職の手作り。裏山から崩れた土を運び、圃(ほ)場整備で出た石をもらっては並べた。サツキ十三本を買っただけで、あとは頂きものばかりとか。
外側に大きな石、内側に小石が敷かれた通路は凹凸がなく歩きやすい。数多くの木々の間には灯籠(ろう)もある。気取りのない庭に親しみを覚えた。
何もない寺と言いつつも、おもむろに住職が出してきて下さったのはその名も龍頭骨。
長さ二十センチ、幅十八センチ程の動物の顎(あご)の骨と歯。聞き伝えを書き記したものによると、年代は不明だが、於与岐村の吉崎権兵衛という狩人が弥仙山の谷奥で雨宿りの際に射止めた大蛇(じゃ)とのこと。
この直後に天が晴れ渡ったことから、今では雨乞(ご)いをする時に使っているとか。真相を調べてみたら…という声もあるけれど、謎(なぞ)のままでおいておくのもおもしろいと住職にその気はない。
それぞれに違った角度で三、四の列をなす鋭い歯の正体は何なのか。興味が湧(わ)く。
|