第三十三番 光明寺(睦寄町)
標高450メートルに建つ二王門
ひんやりとした風に心地良さを覚えながら石段を登って行くと、木立の間から朱色の国宝二王門が見え始める。幾度かの兵難を逃れて鎌倉時代からここで参拝者を迎え、見送ってきた。
瓦葺(かわらぶ)きに見えるその屋根は三枚重ねの板。晴れると乾燥し反って空気の流れを良くし、雨が降ると膨らんで中に雨が通らなくなるとか。先人の知恵に敬服する。
所々に急な坂がある参道が続く。庫裏に着きフゥーと一息つくと車道があり、「なんやここまで車で来られるや」と悔しい気持ちになる。出迎えて下さった楳林誠雄住職、その気持ちを察してか「これが参道ですからここから上がってきて頂くのが正式なお参りです」と慰めて下さった。
さらに続く石段を住職の案内で登る。荘厳でありながらいくらかあせた木の色が、落ち着きと安らぎを感じさせてくれる本堂。拝殿の上には見事な竜の彫り物もある。
拝殿の中は、スベスベに磨かれた二十本ほどの大きな柱と立派な張りが建物を支えている。そこに本尊の千手観音、毘沙門天(びしゃもんてん)、大日如来などが祀(まつ)られている。初めて九頭竜の像も見た。
かつては七十二坊を有し、数多くの僧が修行をしたという標高四五〇メートルのこの地。確かに下界とは違う空気や眺めがあった。
第二十八番 施福寺(上杉町)
行基自ら千手観音祀る
口上林から上杉町へ通じる黒岩峠の中ほどに建っている。まず、石段のわきに樹齢三百年を超える高野マキが天を突くようにスクと伸びているのに出合う。
千二百五十年前、行基大士が「地勢絶勝にしてすこぶる清雅」と、この地を表し、宝球に似た山の形を好んで庵を構え、自ら千手観音を刻んで祀ったのが始まりと言われる。
方々から学徒が集まるようになり修験道の道場として栄えた時期もあったが、やがて荒廃した。後に鎮護国家の霊場の荒廃を嘆いた空也上人によって東照寺、西照寺として再興された。鎌倉時代にそれぞれ移され東照寺は日圓寺(井根町)に、西照寺は当寺となって今に至っている。
本尊は等身大の千手観音。それぞれの手に一眼を備えていて、どんな衆生も救わずにはおかない広大無辺の慈悲を示しているとか。
本尊の左には鎌倉期の地蔵菩薩半跏座像も祀られている。兼務している東光院の松井真海住職もそのいわれはよく分からないらしいが、安国寺の地蔵とは反対に足を向けて座っている。
黒岩峠を町内へ下り、民家が並び始める手前に仁王門跡がある。運慶の作で、大きな門だったと伝えられているが、今は立て札だけになっている。
|