第三十一番 上林禅寺(八津合町)=じょうりんぜんじ
吉田元陳の襖絵34枚も
山門をくぐると、綾部の「古木名木百選」に入っている枝垂れ桜の親子が見事な枝を風に揺らせていた。その下で汗だくになって黒川泰信住職が庭の掃除をされていた。
室町時代の作風の特徴を持つ古い観音様がここに祀(まつ)られているのには逸話がある。有力な檀家であった庄屋の波多野家の主(あるじ)と住職が、同じ夜に「京都の知恩院に祀られている観音様がこの寺に祀ってほしい」という同じ夢を見て、もらい受けものだという。
「朝に夕に観音様に向かってお経をあげていると、こちらの心の有り様で表情がまるで違う。怖いですよー」と黒川住職。
また、ここには三十四枚の襖(ふすま)絵が本堂にある。江戸時代後期の画家、吉田元陳が描いたもので、故事来歴がはっきりしているのも珍しいことらしい。
唐獅子(からじし)や花鳥、竹林の七賢、豊干と虎とらなどユーモラスなものから大胆なもの、日本的な山水画、中国の影響が色濃いものと、同じ作者とは思えないほど多彩。
「寺はお参りして観音様と話をするだけでなくサロン的な場でもありたい」というのが住職の持論。神戸からこの寺にきて二十年余り。住職の思いが理解されてきたのか、座禅会や写経、碁会などの場を設けたことで人々が度々集まってくれるようになったと黒川住職は喜んでいる。
第三十二番 五泉寺(五泉町)=ごせんじ
安産の仏様「腹籠観音」
この寺は、五泉町にあるので「いいずみ寺」と読むのだと思っていた。寺の名と地名が同じことはよくあるが、寺の名は音読みにすることが多く、こういったケースも少ないことではないらしい。
五泉町に入って市野瀬のバス停辺りまで走ると、山の中腹に赤い屋根が見える。車から降りて急な参道の石段を登り始める。とたんに耳が痛くなるようなセミしぐれ。その鳴き声は脳ミソまで達し、頭がジンジンしてくるほど。
その中にひっそりとある本堂は人の気配もなくて草も伸び放題で、うら寂しげな雰囲気が漂っていた。
この寺は、綾部西国観音霊場会の各寺院のなかでも最も北に位置している。
昭和二十六年。この地にあった少林庵と円明庵の二坊が合寺し、今の五泉寺となった。
五泉寺の本尊は、腹蔵観世音菩薩と呼ばれる仏様。この観音様は「腹籠観音」とも言われていて、仏像のお腹の中に小さな胎内仏が納められている珍しいもの。その優しく柔和な顔を拝ませてもらうと、安産の御利益があると信じられているという。
ずいぶん前から無住寺になっており、現在は武吉町にある玉泉寺の大波多哲舟住職が兼務している。
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