第二十九番 日圓寺(井根町)
色鮮やか肉筆の曼陀羅
静かな山あい、鳥とカエルの鳴き声に囲まれて日圓寺はある。右に左にうねり、あちこちにコブをつけた幹のモミジ。表皮に白や緑の苔(こけ)を生やした梅が、この寺の歴史の深さを物語る。
天平十九年(七四七)に行基菩薩によって開創され、十九もの伽藍(がらん)を抱えていたと伝えられている。今は無住で舞鶴の円隆寺の室寺成宝住職が兼務している。
寺のすぐ前の畑で仕事中の辻本不二男さんに声をかけ、話を聞いた。
背後の「蓮ケ峯」は弥仙山とも尾根を通じていて、修験道の行場として栄えた場所でもあったこと。本堂裏の道を登っていくとお天(そら)の観音さんと呼ばれる、奥の院であるかつての観音堂があること。また、昭和三十年ごろからの調査で、ここが丹波茶の発祥の地ではないかと思われていること。近辺には今も寺の段、奥の坊、湯屋、仁王堂の坂など、寺にゆかりのある地名が残っていることなどを教えて下さった。
長年総代を務めておられる永井均さんは、覚上人が書いたと伝えられる不動の掛け軸と昭和二年に地元の婦人会から寄贈された肉筆の曼陀羅(まんだら)が寺の宝だと語る。初めて目にした肉筆の曼陀羅はお香のかおりがし、細かな筆遣いの色鮮やかなものだった。
市内で最大の石の五重の塔、安らかな顔をした八十八カ所のお地蔵さんもある。
第三十番 善福寺(睦合町)
回廊に”びんずるさん”
睦合町に入ってしばらく行くと、府道沿いの左手に愛宕山、秋葉山と彫られた石灯籠(とうろう)が建っている。
ここが善福寺の参道の入り口。「サァ」と行く手を見てギョッとした。目の前にはそそり立つような石段がある。意を決し登り始めてはみたが案の定、すぐに息が切れた。ゆっくりとジグザグに登ってはみたが、百余りの石段はずいぶんとキツかった。
ようやく登りきると、本堂である観音堂が全容を現す。地面から一メートル余りもある高い床。正面の二本の柱と両サイドと後ろ側の格子になった柱が屋根を支えていて、これまでにはない印象のお寺だった。観音堂の前に数本の茶の木があるのも、珍しく思った。
古刹(さつ)ではあるが詳しい開創は不明で、兼任している楳林誠雄住職の寺院、光明寺と同様に聖徳太子が建立し、本尊の十一面観音像も同寺の仏像と同じ香木が使われていると伝えられている。
観音堂の回廊には、びんずるさんと呼ばれるお地蔵さんのような木像がある。総代の引原隆一さんによると「詳しいことは分からないが、けっこう古いもので、頭をなでると賢くなる」と言われているとか。
かつては七堂伽藍(がらん)に六坊があり相当な寺勢を誇っていたらしいが、今は静かなひっそりとした寺だった。
※綾部西国観音霊場会から同霊場巡りの小冊子が発行されています。問い合わせは正暦寺、42・0980。
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