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あやべ西国観音霊場巡り (9)
高源寺、天王寺、満福寺

番外第五番 高源寺(小畑町)

迫力ある達磨大師の絵

 今、この寺は参道と駐車場を囲む十数本の桜が見ごろになり、一年のうちで最もあでやかな時。

 石どうろうを見、古木の桜の花の下を進むと、本柱と控柱が二本ずつの薬医門と呼ばれる形式の、特徴のある山門がある。

 通していただいた間には、中嶋暁道住職が気に入っているという達磨大師の掛け軸がかかっていた。濃いまつ毛や髭(ひげ)、こっちを睨(にら)むギョロリとした目。大きな耳には今でいうピアス。迫力があった。毛深かさを除けば、顔かたちや迫力があるのに親しみ易さを覚える点は住職に似ているような気がした。

 本堂の左側にある薬師堂は江戸時代の初めに建てられたもので、祀(まつ)られている薬師像は出雲・一畑の薬師寺の分身といわれている。特に目の病気に霊験があらたかだと信仰を集めてきた。

 ここには、何鹿郡各地からの喜捨によって寄進された木造の西国三十三所の仏像もある。多少色あせていて眩(まぶ)しいばかりのきらびやかさはないが、木造だけにかなり貴重なものだとか。

 何年か前に本堂の裏山から発掘された大小三つの銅鏡も見せてもらった。裏には松や竹、鶴の細かな彫刻があり森田、藤原道長の名も刻まれていた。表面の写りはよくなかったが、初めて実物を手にした感動は大きかった。



第十七番 天王寺(小畑町)

延命地蔵尊から”霊水”


 本尊の毘沙門天は北を司る護法神で、天王寺は丹波国の北方守護鎮守として創建され、九十九体の仏像が祀られていた。

 境内に入ってすぐ左手にある龍の口からは、延命の霊尊とされる延命地蔵尊から湧(わ)き出る延命の霊水。この水で玉露をごちそうになった。お茶の香りと味のあとにまろやかな甘味がしてくるおいしいお茶だった。

 神仏一体の考えに基づく真言宗の当寺は、小畑町の祈願寺でもある。本堂には本尊の脇(わき)に寺の鎮守・天照大皇の幼少時代の像も祀られている。その厨子(ずし)の扉には、八幡大菩薩と春日大社の文字が記されている。

 「お坊さんが歩いていると『どこでお葬式があったん』と聞かれるけれど、葬式だけが仏教じゃない。新築の祈とうや結婚、誕生などを先祖に報告したりして、常日ごろの心のよりどころとなるのが仏教」と本田隆保住職は言う。

 仏壇にお参りするのも毎日の修行。お茶やお花やお灯明、線香、ご飯をお供えするのにはいわれがあり布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智恵の修行をすることになるという。この六つの修行をすることによって心の平安が得られ人生が充実するのだそう。

 当寺では毎年八月二十三日に、延命地蔵尊の前で柴燈大護摩(さいとうおおごま)が行われている。



第二十番 満福寺(西坂町)

病平癒に霊験あらたか


 弘法大師が修行している姿・修行大師に一礼して石段を登り、長年、風雪に耐えた鐘楼門をくぐると本堂前に出る。

 およそ一千年の昔、高熱の病で苦しんでいた地主神の回復を祈願して草庵を建てたのがこの寺の始まりだと伝えられており、病気平癒の霊験あらたかな仏様だとされている。

 大正の末ごろから昭和四十五年ごろまでは近隣の子どもたちを預かり、季節保育所や日曜学校などの場を提供していた。

 篠畑妙俊住職は法事に行った先で、かつて寺に通っていた人たちにしばしば出会う。すると、当時、食事前に皆で合唱した「一粒の米にも万人の気持ちがこもっています。一滴の水にも天地の恵みがこもっています」という言葉を覚えている人も多く、懐かしさと同時に子どものころの教えの大切さを痛感するという。

 今は仏壇がない家が増え、手を合わせることも手を合わせている姿を見ることも少なくなった。そして、感謝の気持ちまでもが薄れているような気がすると住職は憂う。

 境内には、もと物部小学校の泰安殿を移築した厄除大師堂がある。また、本堂の左の山の中腹には、十二支の守り本尊霊場が設けられている。子年は千手観音、辰年と巳年は普賢菩薩、戌年と亥年は阿弥陀如来などで巡礼ができるようになっている。

2000年(平成12年)4月14日付 掲載