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あやべ西国観音霊場巡り (8)
惣持院、普門院

第十五番 惣持院(小西町)

春と秋には蚕虫の供養

 奈良の南円堂にならって如意輪観音を安置し、七堂十七坊の「総持寺」という名で開かれた。雷火で荒廃したが、のちに空也上人が再興した。室町時代の作とされる本尊の如意輪観音は「今田の観音さん」とも呼ばれ、安産・子安観音として、とりわけ女性の信仰を広く集めてきた。

 石段を登ると、左手に百五十株余りの椿が植わった椿園が広がっている。本堂の前には石が浮いて見える浮庭造りの庭園もある。半分焦げてしまっているが、かなりの古木だとおぼしきタラヤの木、四国八十八カ所の本尊を模した八十八体の木の仏像など、貴重なものがたくさんある。

 「あいまいな言い伝えばかりで、どこまでが本当なのかは定かではない」と大槻裕實住職は言うが、岩見重太郎が天橋立に行く途中に立ち寄り、試し切りしたという伝説のある岩や江戸時代の絵描き、伊藤若沖の書いた遊鶏の図の屏風十二枚も残されている。

 住職が幼いころには、弘法大師の手植えと伝わる、花の房が九尺もある藤があったとか。残念なことにその藤も今は絶えてない。

 この寺には、「蚕都」といわれた綾部らしい馬鳴(めみょう)菩薩の堂がある。近隣の養蚕家やグンゼが蚕の供養のために祀(まつ)ったもので、春と秋には蚕虫の供養が営まれている。



第十六番 普門院(鍛治屋町)

色鮮やかな曼陀羅絵も


 府道小西西坂線から、「何鹿富士」と呼ばれる空山への坂道を登る。木々の間から本堂の赤い屋根が見え隠れする。「普門院」の名が彫られた石柱を過ぎ、谷と山に挟まれた細い急な坂道を進む。

 あやべ西国観音霊場の中で最も標高が高いといわれるこの寺に歩いてお参りするには、かなりの覚悟と体力が必要。駐車場より少し下から、ほんの百bほどを歩いてみただけでそう実感した。

 七二〇年ごろ、行基菩薩が諸国巡錫(しゃく)の際に三坂峠で瑞雲霊気を感じ、大日如来を祀って大日寺を開創した。当地には、ほかにも二つの寺があり盛衰を繰り返して一六八三年、三カ寺が合寺し普門院として今に至っている。

 「仏像はしまっておくのではなく、多くの人に手を合わせてもらってこそ値打ちがある」と考える桐村昭道住職は、本堂に恩師の手造りの花持ち菩薩や恋愛の菩薩様・愛染明王など多くの仏像を祀っている。

 本尊を挟んで左右の壁には、仏の世界を描いた曼陀羅絵が向き合って掲げられている。赤や緑、青、黄、紫など鮮やかな色づかいで描かれ、整然と並ぶ数多くの仏様。素直に「きれい」と感じられた。

 また、一七〇五年ごろの大日経典や一七五九年に地元の豪農・由良重左ヱ門が寄進した六百巻の大般若経典が大切に受け継がれている。
2000年(平成12年)3月10日付 掲載