第八番 円照寺(多田町)
目にご利益ある薬師堂
通された部屋には囲炉裏があり、白くなった灰の中ほどで久しぶりに見る炭が赤々といこっていた。手間をかけて準備し、待っていて下さった相川宗海住職のお気持ちが嬉(うれ)しかった。
お茶をいただいて一息つくと、心地よい音楽に気がついた。喜多郎だそうで、CDラックの中にはクラシックやユーミンと、たくさんのCDが並んでいた。
四年前、一人でこの寺にきた。五匹のタヌキが同居人。二十年余りも無住だったのに荒らしもせず、檀家の人たちが力を合わせて先祖の供養をし寺を守ってくれていたことに感心したという。
本堂の左にある薬師堂は、特に眼病にご利益があるとか。
右にある観音堂は、観音様を信心していた森本市兵衛清常という人が、自分が死ぬ日を予言し、死後は観音像を寺に奉納するように言い残し、予言通りの日に亡くなった。生前の言葉に従い、寺に奉納し建てられたものだと伝えられている。
寺のあれこれは語らず、仏教というもの、人が生まれて生きるということ、手を合わせるということなどを説教じみたものでなく、会話の流れの中で話して下さった。
たまには人とか自分とか、生きるとかについて考えるのもいいものだと思った。静かないい時間を持たせてもらった。
第十番 慈音寺(上延町)
府教委のお墨付き梵鐘
寺に着き、車を降りたとたんに「ゴォーン、ゴォーン」と鐘の音。流れるように、拡(ひろ)がるように人々の暮らしの中に吸い込まれていく。
出迎えて下さったのは、セーターにズボンというラフな恰好(かっこう)の西尾観光住職。大きな声に歯切れのいい口調、話のテンポも実に軽妙で、記者がこれまで頭に描いていた住職像とはずいぶん印象が違う。
このお寺の梵鐘(ぼんしょう)は古いもので、第二次世界大戦で鉄類の供出を余儀なくされた際にも、府教育委員会から「由緒ある貴重な品だから出さなくてもいい」とのお墨付きがあり、現存している。
曹洞宗に属するお寺のほとんどのご本尊はお釈迦様なのに、ここの本尊は聖観音が祀(まつ)られている。
境内の山門脇(わき)には、お参りすると出世がかなうという出世稲荷大明神と淡島大明神がある。淡島大明神は女の神様で、子授けや安産におかげがあるという。毎年二月には初午が行われ、多くの人がお参りに訪れている。
寺の境内にある朱色の鳥居が見事に映え、なんとも面白い取り合わせのような気がした。
西尾住職は曹洞宗のボランティア会に長年参加し、み仏の心を世界の人々にのスローガンのもと、ラオスやタイ、カンボジアなどの子どもたちの教育や女性の自立のための精力的な支援活動を続けている。
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