第三番 宝住寺(味方町)
18羅漢配した磊々園
お釈迦(しゃか)様の弟子の中でも最高段階に達した人のことを指す羅漢。この羅漢を山号に持つ当寺の住職河野義海さんは、かねてからこの山号にちなんだものを寺に祀(まつ)りたいと考えていた。
そして、大小さまざまな石やモミジ、萩(はぎ)、ツツジなどの木と十八の羅漢を配した庭、磊々園(らいらいえん)として昭和六十二年に実現させた。
石像の頭をさすった手を自分の頭に当てると頭が良くなるという、ヒンズル尊者から順に庭を巡りながら羅漢様にお参りができる。
竜をてなづけているバンタカ尊者や、親子が向き合って合掌しているラーブラ尊者など、一体一体が違う表情や仕草をし、それぞれがゆかりのある持ち物を手にしてお釈迦様を中心に座している。
その庭を見上げて「雨風にさらされ苔(こけ)むして、あと三百年もすればいい庭になるでしょうね」と河野住職は目を細める。この庭の上には、サツキで作った「心」という大きな字をあしらった「大心字園」もある。
また、ここでは料理好きの奥さんが心を込めて作る精進料理の接待も受けられる。新鮮な材料を使い旬の味を大切にした料理が評判になり、多くの人が訪れている。
今、宝住寺は大事業の真っ最中で二百年ぶりに本堂を建て替えている。来年の夏には完成予定。
第六番 梅岩寺(下八田町)
貴重な4枚の襖絵も
南北朝時代に真言宗の大寺として開創されたものの大火で廃寺同様になったが、下八田地区が山家領となって再興され臨済宗に改められた。
無住寺だったこの寺に岩佐寛海さんが住職としてやってきたのは昭和六十一年。それから住職の奮闘が始まった。山門や土塀を造り、本尊の十一面観音や天蓋(てんがい)の修復費用を少しでも安くするために、それらを軽トラックに積んで何度も京都を往復した。
境内の裏にある藪(やぶ)を整地し、沙羅双樹(さらそうじゅ)や百日紅(さるすべり)、利休梅などの花木を中心にモミジ、山茱萸(さんしゅゆ)など、たくさんの木々を植えた。「造園師も土建屋も仏具師も、なんでもこなすんです」と住職。
「まあ見て下さい」と案内されて本堂に入り、まばゆいばかりに輝く十一面観音にお目にかかる。東洋のモナリザ≠ニ住職が自慢するだけあって穏やかな笑みの優しい顔。黄金色のきれいな天蓋の下に立たせてもらった。
このほか同寺には、山家城主のお抱え絵師が描いた貴重な四枚の襖(ふすま)絵もある。
「本来、お寺は諸人(もろびと)の人生の休憩所・命の休憩所」というのが岩佐住職の持論。楽しみながら自分の手で寺を作って、いろんな人が訪ねてくれるのを待っている。一人でも多くの人がここに来て、和やかで休らいだ気持ちになってくれるのが無上の喜びだとか。
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