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あやべ西国観音霊場巡り (2)
随岸寺、栴林寺、照福寺

番外第四番 随岸寺(和木町)

33体の観音像まつる

 およそ六百年前、安国寺の南の鬼門を守る寺として開創されたといわれている随岸寺は、木立が生い茂り、右に左に曲がりくねった山あいの道を登った所にある。

 開山と同時に建てられた観音様をお祀(まつ)りする無漏堂(むろうどう)に代わって今は観音堂が建っている。ここには、聖観音立像を中心として合計三十三体の観音様が祀られている。

 現在は無住寺だと聞き、いくらか荒れたお寺を想像して訪ねた。けれど、きれいに掃かれた境内や真新しいお花が供えられているのを見て、檀家の方々の、お寺を敬う気持ちを垣間見た思いがした。

 お寺というと、気持ちの上でも距離的な点でも人家や人々の暮らしから少し離れた所にあると思い込んでいたのに、すぐ近くの田んぼで農作業をする人たちの話し声が寺にまで届くようなお寺もあることを知った。安土桃山時代に創建され、昭和二十年に戸奈瀬町の興源寺と合併して今に至っている。



第四番 栴林寺(釜輪町)

地域の人らが庭整備


 栴檀(せんだん)は双葉より芳し=香の強い栴檀は発芽のころから早くも香気があるように、大成する人物は子供のころから並外れて優れているという意。この言葉にあるある栴檀の林(優れたものばかりの中)で修行をした者は鍛錬され、より優れた者になるであろうという願いを込めてこの寺名がつけられたらしいと竹貫英山住職が教えてくれた。

 境内に入ると本堂正面のお庭に目が止まる。二十年余りも前に地域の人たちによって整備されたもので、松竹梅やつつじが植えられ、石の橋のかかった池がある。池にはハスが群生しているのだけれど、小さな葉の中にこれまた小さな花が二つ咲いているだけ。

 不審に思って尋ねると、住職の奥さんが「数年前までは見に来る人もいたくらい、きれいに花をつけていたけど、水を引きにくい池で、田んぼの水をもらうわけにもいかず自然に任せていたらこんなになってしまった」と話してくれた。

 お寺のハスも大事だが、農家の稲の方がもっと大事だと判断したご住職夫妻。でも、ハスが絶えてもいいとは考えていなかったはず。その気持ちに応(こた)え、小さくてもいいからこの池で生き続けてほしい。



第五番 照福寺(鷹栖町)

照福寺庭園が正式名


 山家城主、和久氏の菩提寺として文安二年に創建され、安土桃山時代には東山町に移り、寛永二年に現在の地に建てられた。

 照福寺といえば国の名勝「含勝庭(がんしょうてい)」だと思っていた。が、和久弘昭住職によると含勝庭というのはあだ名のようなもので、「名勝・照福寺庭園」というのが正式名だとのこと。

 本堂を向いて立つ大きな石を枯滝口として、ここから流れ落ちる、目には見えない水の流れは、石橋をくぐり渓流を下って鶴島や亀島を浮かべる。

 木と石と土と苔(こけ)で山の頂から大海原までの水の旅と風景とを見事に造り上げている。

 本堂前の左には観音堂供養の真観庭(しんかんてい)もある。白い化粧砂の中に、見る角度で石の数が変化するように凝った配置がされている。観音様の慈悲に伏す善男善女とも、観音様の周りを囲んで座す「仏に仕える者たち」と考えてもいいとのこと。

 そしてもう一つ、生々苑(せいせいえん)というさざれ石やトラ石、ホタル石、三尊石など、石と水で人の一生を表した枯山水もある。

 名勝の名に引かれて多くの人が庭を見に訪れる照福寺。でも、本尊の前を通る時や庭を拝見する時に手を合わす人がほとんどないことを住職は残念がる。

 信心うんぬんではなく、よそのお宅を訪ねたら家人にあいさつをするように、仏様の前では無心になって手を合わす°C持ちを持ってほしいと願っている。


1999年(平成11年)9月10日付 掲載