1月10日の 「恵比須祭」 と7月28日の 「水無月大祭」 の神事などで市内外に広く知られる熊野新宮神社の起源は、
古文書によると古くに遡(さかのぼ)るが、 現在地に社殿が構えられたのは元禄11年
(1698年)。 紀州熊野新宮大社から分霊を受け、 「熊野新宮神社」 と改称して同年6月28日に遷座祭が行われた。
以降、 毎年、 旧暦6月晦日(みそか)に大祭を執り行うようになった。
![神社本殿(左)と、境内社の恵比須神社](050624jisya_kumanosingu1.jpg)
出口宮司によると古来、 水は神聖なものとして親しまれ、 罪や穢(けが)れを祓(はら)い清め天地自然の安定正常化の中に人間的存在、
社会の平和と繁栄を神に祈る大切な神事が毎年6月と12月の晦日に執り行われてきた。
その後、 12月の祭りは廃絶し、 6月の祓いのみが残ってこの名で呼ばれるようになった。
殊に水田耕作の田植えの水を豊かにし、 夏の雨期の洪水を防ぎ秋の豊作を祈る祭として大衆的、
伝統的に長く広く権現様の 「水無月祭」 と親しまれてきたが、 その起源は定かではないという。
だが、 延享2年 (1745年) に綾部藩を訪れた江戸幕府の巡見使の記録には、
同神社で盛大な 「水無月大祭」 が執り行われているという記述かあり、 少なくとも260年余り前から続く神事と考えられる。
明治5年に暦が太陽暦に変わった際、 旧暦の大祭日6月28日に当たる7月28日に変更された。
近年、綾部で「水無月」 といえば 「花火大会」 と 「万灯流し」を連想する。
現在は 「あやべ水無月まつり」 として7月の第4土曜の夜に行われている。一方、水無月大祭の祭典は従来通り7月28日に営まれており、
出口宮司は 「重要な大祭の日が毎年変わるようなことは慎むべきこと」 だと語る。
また 「万灯流し」 は明治39年に、 当時の事業家が始めた。 花火の打ち上げは大正7年ごろ綾部商工会議所の前身とも言える
「綾部実業協会」 が手がけたのが始まり。 ![多くの参拝者でにぎわう1月10日の恵比須大祭](050624jisya_kumanosingu2.jpg)
一方、 水無月大祭と並んで多くの参拝者のある 「恵比須祭」 の起源は明治35年
(1902年)。 当時の綾部町内の呉服組合の商店主らが西宮市の 「西宮蛭神社」
の分霊を受け、 熊野新宮神社境内に祀ったのが始まり。
戦後の昭和23年に恵比須神社の新社殿を造営。 その後の29年に本町通と並松町の商業者で組織する
「蛭(えびす)会」 が 「えびす大祭」 を催すようになり、 大変なにぎわいを見せるようになった。
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