照福寺の創建は文安2年 (1445) で、 当時の山家城主・和久氏の菩提寺だった。
元々は現在の広瀬町に建っていたが、 明智光秀の丹波平定による和久氏の没落に伴い、
寺は東山町に移転。 寛文2年 (1662) には、 山家藩3代藩主・谷衛広の寄進によって鷹栖町の現在地に造営された。
同寺でよく知られているのは、 昭和45年に国の重要文化財として名勝指定された庭園。
本堂北側にある 「含勝庭(がんしょうてい)」 と呼ばれる庭園は、 天保14年
(1843) に12世仙裔和尚が地元産の自然石を使って作庭したことが、 同寺に残る記録からはっきり分かっている。
築山林泉式の枯山水(かれさんすい)庭である含勝庭の特徴について、 同寺のパンフレットには次のように記されている。
「庭石は地元の山石を充分に用い、 やや厳しい手法を以って作庭されている。
その形態と手法は江戸時代末期の特色をよく表している。
北西隅の築山に枯滝口を表し、 東に向かって徐々に低い築山を連ねている。
書院に面し、 いま一つの滝口があり、 石橋が渓流を渡る。 鶴島に対する亀島は二つの築山の裾(すそ)を長く岬のように手前につき出して島のように見せ、
庭の西側と外界と境する修景としている。
築山の裾をめぐって流れを表現し、 本堂と書院は飛石で連絡され、 更にそれは石橋を渡り築山に回遊出来るようにされている」
庭の拝観者の中には 「どこにでもあるような石をうまく組み合わせてある」
と評する人もいたそうだ。 同寺には含勝庭のほか、 昭和43年に作庭された 「生々苑」
が本堂東側、 「真観庭」 が本堂正面にある。
昭和51年に改築された本堂の天井には、 和久弘昭住職による直径6尺6寸 (約2メートル)
の龍の絵が描かれている。 平成12年12月に庫裏が新築されたのに続いて、 翌13年8月には書院などの改修工事が完了した。
同寺の本尊は釈迦牟尼仏。 観音堂には聖観世音菩薩が祀(まつ)られ、 綾部西国観音霊場の第5番札所になっている。
寺の年間行事として春の彼岸に涅槃(ねはん)講、 12月5日に達磨(だるま)講が執り行われている。
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