生野銀山
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1千年以上の歴史ある鉱山
現在は観光坑道として一般公開
大同2年(807)に開抗され、宝永2年(1705)には最高位の銀山を表す「御所務山」に指定された生野銀山。昭和48年に閉抗してからは鉱物館や資料館を併設し、観光坑道として一般に公開されている。
江戸時代の代官所門と、明治22年に皇室財産となり、宮内省御料局だった当時に造られた菊の御紋が刻まれた門。現存する二つの門は、この銀山が日本にとっていかに大切な存在であったかの証(あか)し。
色づき始めた木々の中、右側の岩には手掘りをする抗夫の人形が置かれている。すぐ横を「不動の滝」が流れ落ち、左には観音岩。その先に露天掘り跡へ向かう階段がある。
石組みのアーチ型の坑口から坑道に入る。暗く、ひんやりした坑内には、江戸時代の採掘の様子が再現されている。はいずりながら掘り進んだ一辺が1bにも満たない四角い穴。「手子」と呼ばれた子どもや、女性の労働者の人形。
窮屈な体勢で、体を酷使しての採掘作業は大変だったことがうかがえる。どんな思いが込められているのか、岩に「南無阿弥陀仏」らしき文字や仏像が残っている。
明治元年、フランス人技師が着任してから採掘は機械化され、捲揚機(まきあげき)やエレベーター、人車やトロッコの軌道が新設された。明治9年には政府要人だった伊藤博文を迎え、鉱山開業式が行われている。
1千余年の間に総延長350`以上、深さ1千bまで掘り進み、70種の鉱石を採掘した。御所務山や宮内省御料局となった陰には、坑夫たちの命がけの辛(つら)く厳しい労働があったことを改めて思った。
途中の和田山町竹田には、完全な形で残っている山城の遺構として国の史跡に指定されている竹田城跡がある。平面構成の見事さ、豪壮な石積みは一見の価値がある。円山川の霧の中に浮かぶ姿は「天空の城」とも言われ、この時期ならではのもの。
ルート
国道9号の兵庫県朝来市和田山町の一本柳交差点を左折し、国道312号を約20`走る。口銀谷の交差点を左折して、国道429号に入ると約3`。
メモ
営業時間=11月は午前9時〜午後5時。12月から2月までは午前9時半〜午後4時半。3月は午前9時半〜午後5時。4月から10月までは午前9時〜午後5時半▽定休日=毎週火曜▽入場料=大人900円、中高生600円、小学生400円▽問い合わせ=@079・679・2010
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