(1)両足をそろえ、手の平を上に向けて立つ
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(2)右足を1歩右側へ踏み出す
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(3)手の甲を上にして左足を出す
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(4)右足で1回、足拍子をする
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(5)両足をそろえ、手拍子を2回打ち鳴らす
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(6)左足を1歩、左側に出す
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(7)右足を1歩前に出す
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(8)右足を軸に向きを変え、両足をそろえて1回手拍子する
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綾部に300年以上前から伝わる盆踊りといえば、 「トコ ヤシトコ ヤシトコ ヤシトコセ」
という独特の囃子(はやし)文句の 「綾部踊り」 。 伝統あるこの踊りを守り継ごうと
「綾部踊り保存会」 (荻野素尚会長) が普及に力を入れている。
綾部踊りは寛永10年 (1633)、 に、 綾部藩主として九鬼隆季が鳥羽から来綾した際、
鳥羽の隣にある伊勢で流行していた有名な松阪踊りが 「松阪くずし」 として綾部に移入されたと伝えられている。
だが、 それ以前から綾部にあった踊りの手振りも残り、 特色のある踊りになったようだ。
「ヤシトコセ」 の文句があることからヤシトコ踊りとも伝えられている綾部踊りの音頭は
「口説き」 と 「甚句(じんく)」 の2種類があり、 踊りの手振りもわずかに違う。
甚句には、 平和塔や綾部大橋、 水無月、 蚕の都といった綾部の名所や郷土色豊かな歌詞が盛り込まれている。
一方、 口説きの音頭は節ごとに最後の5文字を繰り返すという珍しい方式になっている。
口説きの歌詞は本来、 江戸時代中期に作られた 「鈴木主水」 などの物語を数時間かけて歌い、
踊っていた。 だが、 それでは時間が掛かりすぎることもあり、 今は全く別の歌詞が付けられているという。
踊りの動作は7つの足の動きを繰り返すという単純で素朴なものだが、 「トン」
と力強く大地を踏む足拍子が特徴。 胸の高さで物をささげるような手ぶりがあるのは、
九鬼陣屋が高台にあって農民が米蔵に収める年貢米の俵を両手でささげるようにして急な坂道を登る姿を象徴しているという説もある。
音頭取りの歌と囃子の合の手、 太鼓や三味線の鳴り物に合わせて人々が踊る。
荻野会長によると、 三味線が取り入れられたのは昭和54年からで、 それまでは太鼓だけだったそうだ。
保存会は、 昭和21年ごろから綾部踊りを楽しんでいた市民グループのいくつかが一つになって出来た。
現在の会員は35人で、 この踊りを多くの市民に伝えようとの思いで活動している。
主な活動はイベントへの参加と市民への指導。 5月の丹の国まつりから11月の文化祭まで、
市内で開かれる各種行事に出演して踊りを披露しているほか、 5年ほど前からは子どもたちへの指導に力を入れるようになった。
踊りが最も盛んだった昭和50年代、 JR綾部駅前で開かれた納涼大会の会場には3階建ての櫓(やぐら)が組まれ、
2千人もの市民が踊りを楽しんだこともあった。 だが 「最近の祭りはカラオケが主流になり、
盆踊りをする所が少なくなった」 と荻野会長。
それでも、 毎年8月に開かれる 「あやべ盆踊り大会」 には約600人が参加する。
荻野会長は 「将来、 だれかが引き継いでくれることを願い、 地道に活動を続けていきたい」
と話している。
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※2005.7.18付で紹介した記事と写真を一部加工、更に2003.7.16付暑中見舞い特集号の記事を加えて再掲載しています |
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