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時代の架け橋 登録文化財 綾部大橋の76年(6)
職人の見事な連携プレーに見とれた
  「綾部大橋」 を渡っている途中、 下流側の由良川をのぞくと、 川底に杭くいが何本もあるのが見える。 この杭は元々、 現在の綾部大橋が昭和4年6月に架けられる前にあった木造の 「綾部橋」 の橋脚の一部だ。 水中にたたずむ杭を見るたび、 味方町の新宮千秋さん(84)は幼いころの記憶が蘇(よみがえ)る。

 新宮さんも幼稚園と小学校の登下校に使っていた木造の 「綾部橋」 の上から、 そして近くに住んでいた民家の2階から、 現在の橋が出来上がっていく様子を興味深く見ていた一人だ。

 新宮さんにとって工事の中で特に印象が強かったのが橋脚の設置作業。 「潜水夫が川に入り、 石ころや砂利を外に取り出しながら、 橋脚を少しずつ川底に沈めていった。 2人の潜水夫には足場からポンプで空気が送られ、 潜水服を着ての作業は大変だと思った」 綾部大橋にたくさん取り付けられた鋲。架設時の鋲の取り付け作業の様子は新宮さんに強烈な印象を残した

 新宮さんは、 弓状に鉄骨を組み合わせていく作業を鮮明に覚えている。 「河原で真っ赤に焼いた鋲(びょう)が放り上げられ、 工事用の足場に待機していた職人が火花の飛び散る鋲を金網の袋で受け取り、 欄干にいるとび職に渡し、 すばやく鋲を叩(たた)いてかしめる。 見事な連携プレーに見とれた」

 綾部大橋が完成したころ、 国道27号はまだ舗装されていなかった。 また由良川は子どもにとって絶好の遊び場で、 「夏になると、 橋を渡って西町以東の大勢の子どもたちが川へ泳ぎに来て、 水が黄色に濁っていた」 といった様々な思い出が脳裏をよぎる。

 そんな新宮さんが綾部大橋を通るたびに、 気掛かりになっているものがある。 それは、 橋の東詰と西詰にある高さ制限の鉄骨。 味方町側から一方通行となっている綾部大橋を、 高さ2メートル以上の車両が通行できないようにデンと構えている。

 この鉄骨が大型車両の進入を遮(さえぎ)っていることが橋の延命につながり、 今も綾部大橋が現役で市民の日常生活に欠かせない存在になっているというふうにも考えられる。

 新宮さんは願う。 「この高さ制限の構造物は今の形では景観が悪く、 文化財としての橋にそぐわないと思う。 たとえば針金などでバラのデザインの装飾を施すなど、 もっと文化財にふさわしい形にしてもらえないか」 と。
   (細見仁史記者)