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「ゆるぎ松」「しずく松」伝承を

今に伝える“ゆかりの場所”

小挟1・2号墳(向田町小挟)

しずく松があったという2号墳 向田町の小挟1・2号墳は「志賀の七不思議」として知られる「ゆるぎ松」「しずく松」の伝承を今に伝えるゆかりの場所だ。

 1号墳にあったという「ゆるぎ松」は、都に良いことがあれば風も吹かないのに上の葉が揺れ、不吉なことがあれば下の葉が揺れたという言い伝えを持つ。円墳の直径は16メートルで、高さ2・5メートル。

 2号墳の「しずく松」の方は、毎年正月6日の午前10時になると松の木から雨のようにしずくが落ち、その量によって旱魃(かんばつ)や水害を占って農作業の拠(よ)り所にしたという。こちらの円墳は直径12・8メートル、高さ2・2メートル。

 志賀の七不思議の起源は今からおよそ1400年前の崇峻天皇の御世。大和朝廷は丹波の国々の地方豪族を征伐するため、金丸親王を遣わす。苦労の末に丹波を平定した金丸親王は神仏のお陰を感謝し、志賀の里にある藤波、金宮、若宮、諏訪、白田(のちの篠田)の5つの社を厚く信仰。その子孫の金里宰相も千日参りをするなど崇敬を寄せ、後の「不思議」のきっかけをつくった。

 「しずく松」のエピソードは明智光秀の福知山城築城のころで、かなり年代にずれがある。元々は5不思議だったのが後に2本の松が加わって7不思議になったと思われ、その舞台に選ばれたのが古墳の跡だったということのようである。