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あやべ西国観音霊場巡り (15)
禅徳寺、岩王寺、慈眼寺

第二十七番 禅徳寺(上杉町)

唯一の不空羂索観音も

 何体かの招福地蔵に一礼して山門をくぐると、市の名木百選に選ばれたビャクシンや築山、石庭が迎えてくれ、その奥に観音堂がある。

 「ここは禅寺ですからおいで下さった方にはまず抹茶を、その次に煎(せん)茶をお出しするんですよ」と、大石健諒住職のお母さんが程よい濃さと飲みごろの温度のお茶を勧めて下さった。回を重ねたとはいえ、どうしても張り詰めてしまう気持ちをとても和らげてくれた。

 観音堂には、当霊場会で唯一の不空羂索(ふくうけんじゃく)観音のほか、手にした羂索(ひも)で煩(ぼん)悩の大海に溺(おぼ)れる私たち凡夫をもらさず救ってくれるという観音様が祀(まつ)られている。

 この観音堂は大正十三年から二十六年間、農繁期の託児所だった際の子どもたちの昼寝の場として、また昭和二十年には京都からの疎開児童の荷物置き場としても使われてきた。

 このように、その時々に姿を変えて寺の力になり寺を守り、常に寺と共にあったという。

 先代は「お寺を、生きている人が立ち寄ってくれる所にしたい」との思いから、当霊場会の発起に尽力した一人。

 その思いが通じてか、野菜や新米が穫(と)れると届ける人、草刈り機の点検修理をする人、毎年しめ縄を奉納する人など、地域の人たちとの親しいお付き合いが感じられた。



第二十五番 岩王寺(七百石町)

お香作りの体験もOK


 平安期の日本三筆の一人、嵯峨天皇が「丹波の国石王寺に硯(すずり)石あり、黒色にして白筋あり、その筋陽樹の如(ごと)くすすきの如く或(ある)いは丈の画に似たり甚だ上品なり…」と称賛し、岩王寺(石王子)石で出来た硯石を愛用したことに由来して寺名がつけられた。

 人里を離れ山に入って行くと、茅葺(かやぶ)きの仁王門と本堂がある。「童話の中に出てくる山寺みたいでしょう。だから、茅葺きの山寺とも言うんですよ」と松井真海住職が言う通り、小さくて温かみのある建物は懐かしいような気持ちにさせてくれる。

 かつては寺僧百人、寺領七百石の山陰随一の聖地として栄えたこともあった。往時を偲(しの)ぶ漆(うるし)塗りの前机、古仏、足利尊氏から当寺の僧が寄進を受けた際の寄進状や目録など貴重なものを所蔵している。

 この寺には花の色がウグイス色のギョウコウ、葉が赤みを帯びていて花がウグイス色のウコンの珍しい桜、樹齢三百年のウメ、市の名木に選ばれたサンシュユ、八重の白い椿(つばき)、ツワブキ、萩(はぎ)といった花々が、いつでも何かが咲いている。春の観桜祭、秋の筆供養は多くの参拝者らでにぎわう。

 住職ご夫妻の指導による「お香作り体験」もできる。五、六人が集まり二、三日前に予約が必要。42・2432(松井)まで。



第二十四番 慈眼寺(上八田町)

千手千眼観音の軸所蔵


 来春に咲く花の苗、盛りを過ぎた夏の花、鉢に植わったイチョウなど。参道から本堂の前、庫裏の玄関にかけて数えられないほどのプランターが置かれていた。

 十五年前に亡くなった奥さんの楽しみだった花作りを引き継ぎ、四季折々の花を育てている伊藤孝宗住職。「花はいいですよ。正直ですから。水が足りないと萎(しお)れるし、たっぷり与えると生き生きする」と目を細める。

 ここには、本尊の聖観世音菩薩のほかにも由緒ある観音様、清水寺の奥の院に秘蔵されていて平素は拝むことのできない千手千眼観音を模写した軸が所蔵されている。

 江戸時代、亨保年間の秘仏開帳の折に描かれたものを縁あって入手した人が、あまりにもおそれ多いと、当寺の檀家で京都に出て商いをしていた近江屋と萬屋の世話でこの寺に奉納したもの。

 添えられた由緒書には、記者には読めないが、描かれたいきさつや奉納に至った理由が詳しく書いてあるみたいだった。

 長さ八尺、幅半間ほどの大きな軸である。淡い色遣いの穏やかな観音様の手はまるで隠し絵のよう。伊藤住職と二人で「一、二、三、…」と数えてはみるのだが、その度に、さっきは見えなかった部分に手があったり、手には見えなかったものが手だったりして、その数は定かではなかった。

2000年(平成12年)10月13日付 掲載