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あやべ西国観音霊場巡り (11)
長福寺、極楽寺、高屋寺

第二十三番 長福寺(向田町)

毎年8月に”千日参り”

 ”向田の観音さん”の通称で知られている長福寺に観音さんが祀(まつ)られるに至った言い伝えを、寺のお世話をしておられる真福寺(向田町)の大槻雅久住職が話して下さった。

 明智光秀が丹波攻略の際、家来の岡部山城守に今の別所を討伐させ、戦賞として同地滝谷の聖観世音を与えた。その像を持ち帰る山城守がこの長福寺で休息したところ、像は地に根が生えたように動かなくなり、霊験を恐れた山城守がここに観音様を泰安したという。

 本堂は珍しい東向きで、正面の屋根の裏側には、俳句や人物を書いた木札が掲げてある。中は格天井になっていて、花や鳥のきれいな絵が描かれている。

 総代の竹内繁さんの家は何代にもわたって、本堂からわずか十b余りの所にあり、明治時代までは参拝客を相手に駄菓子屋を営んでいたというから、この寺のにぎわいぶりがしのばれる。

 毎年八月十日には千日参り、十七日には開帳法要が営まれ、この地独特の「向田をどり」を踊って願かけや願ずましをする。

 境内には、参拝者が籠(こも)ったり宿泊したりした舞堂のほか、三十三体の観音が安置されている観音堂、善光如来や文殊菩薩、庚申尊が祀られ、眼病のご神水、なで仏のある絵馬堂、たくさんのよだれかけが供えられているお地蔵様もある。



第十九番 極楽寺(白道路町)

滴水禅師に大賀ハス…


 明治維新の時、寺を壊し仏教をなくそうとする過酷な時代に抵抗して仏教を守り、後に天竜寺の管長を務めた滴水禅師は白道路町出身。傑僧で名高い滴水禅師と同寺との縁は深く、ゆかりの品や書が数多くある。

 境内には滴水禅師の功績をたたえ伝承する意味で、「曹源一滴蓋地蓋天」と記された石碑を建てた滴水公園がつくられている。

 また本堂の東側にはハス池があり、毎年六月末になると薄いピンクの大輪の花を咲かせる。「大賀ハス」と呼ばれるハスで昭和二十六年、千葉市で大賀一郎博士が発掘し二千年の時を経て花を開かせたことから名付けられた。

 この池で大賀ハスの花が咲くようになって十五年余り。一度に五百余りの花が見られる朝もあり、まさに極楽のようだとか。府内には府立植物園とここにしかない貴重なもの。

 山から下ってきた水がハス池を満たして流れ出し、大きな法輪の水車を回している。静かな山と田に囲まれた一帯に、絶えることのない水音と、ゆっくりと回り続ける水車が、訪れる人の心を和ませてくれる。

 長年、住職を務めてきた伊藤謙光さんは息子の裕康さんにその座を譲り、六月十一日に晋山式が執り行われた。

 お大師さんを祀った八十八カ所の参拝コースや、樹齢四百年の三本杉がある不動尊や愛宕の宮にもお参りができる。



第十八番 高屋寺(物部町)

霊験あらたか手足観音


 およそ千年前に開創され、何鹿郡十二カ寺の本坊であり勅願所であったと伝えられている。

 往時は大門、山門、本堂、大師堂、薬師堂、通夜堂、閻魔堂、十五堂、弁天堂、鐘楼堂、宝倉、北丈、庫裏、茶屋、納屋、土蔵の十六の堂宇が建ち並んでいたという。

 その後、物部城主・上原氏の菩提寺となって加護を受け、大いに栄えた時期もあったとか。

 高屋寺に隣接し札所をしている自得寺の渡辺泰山住職が「かつては下の交差点までお参りの列が続き、今は二つの寺の駐車場になっている広場は線香の煙で先が見えないほどだったと聞いている」と話してくれた。

 が、度重なる兵難や災害が高屋寺を襲った。仏像は無事に残ってはいるものの寺領は没収され、檀徒も転宗して無住寺になってしまった。往時の寺勢はもう、面影すらない。

 今では本堂と池の中に建つ弁天堂、お地蔵様だけになっている。

 本尊の千手千眼観世音菩薩像は手足の諸病に霊験あらたかなるものがあるといわれ、別名手足観音とも呼ばれている。

 年に一度、八月十七日には物部地区の自治会と老人会の主催で祭りが催されている。また、毎月十七日の観音さんの日には、老人会の人たちによって掃除が続けられている。

2000年(平成12年)6月16日付 掲載