第二十一番 長松寺(坊口町)
貴重な1300年前の胎内仏
間もなく見ごろを迎える参道の両脇(わき)のサツキに出迎えられ、山門をくぐると本堂前にでる。
この寺の本尊は台座に座した木造の聖観世音菩薩。その中には胎内仏として、もう一体の観世音像が納められている。
「『武将であった白藤彦七郎という人が自分の身を守るために肌身につけていた念持仏を、彦七郎の末えいが寺を開山した際に胎内仏として本尊の中に祀(まつ)ったものらしい』と書物に書いてあった」と中川順敬住職が教えてくれた。
国立博物館職員の鑑定によると、約千三百年前の白鳳時代に作られたものにほぼ間違いなく、おそらく関西にもこれしかないというほどの貴重なものだとか。
この胎内仏は十五センチほどの銅製の立像で、頭部が大きく肉づきが薄い。宝珠を持ち、胸の前で左右の手を組んでいる。両方のそでは足元まである長いもので、一つの布でつながっていたのが特徴だった。が、残念なことに兵火で両そでの胸から下の部分と台座の一部が焼失してしまっている。
それがネックになり、撮影はされたが、仏像の写真集には掲載されなかった。本来ならかなり重要な文化財としての価値のあるものなのに、市の指定文化財にとどまっているのがなんとももったいないように思った。
第二十二番 宝満寺(西方町)
珍しい雷よけ祈とうも
昨年六月、方丈の落慶法要とともに晋山式を行った松本満裕住職はお仕事で留守。父親で名誉住職でもある龍雄さんが、「もう住職は副業で、農業が本業になってしまいました。もうちょっと早かったらコブシの花がきれいやったのになあ」と残念がりながら応対して下さった。
宝満寺は、七つの山の峰、七つの畑、七つの谷川である「七岳七丘七泉」の交わる七福神の瑞相を持った盆地にある。「七」という字は成就の数字・完成の字といわれ、七がつく日は仏の日でもある。
この寺は、名誉住職の実弟の松本大円・清水寺名誉管長との関係で、大西良慶・元清水寺管長(故人)と縁が深く、五十年間も毎年説法に訪れたり、多くの掛け軸や書、仏画を同寺に残したりしている。山門には、四十年前に枯れてしまった幹回り四メートルの松を輪切りにして、それに大西良慶が寺名を書いた立派な額が掲げられている。
ここでは、珍しい雷よけのご祈とう「除雷秘咒」(じょらいひしゅ)が毎年一月十四日に執り行われ、遠方からも多くのお参りがある。
そのおかげか「隣近所の町に雷が落ちることはあっても、これまでこの西方町に雷が落ちたことはない」と名誉住職は、ちょっと得意気。私も雷よけの御札をいただいた。
境内の山には、高さ十八尺の石造りの多宝塔があり、内には十六歳の聖徳太子像が祀(まつ)られている。
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