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あやべ西国観音霊場巡り (6)
東光院、隠龍寺

第九番 東光院(上延町)

あじさい寺で知られる

 あじさい寺としても知られているこの寺の住職、松井真雄さんは”あやべ西国観音霊場会”の発案者の一人で、この会の発足に際しては一方ならぬ尽力をしてこられた。

 東光院は大島、安場、岡、延にかけて六坊を有する古刹(さつ)で、境外仏像として安場の観音さんも祀(まつ)られている。

 参道を登ると仁王門がある。この門は室町時代に建造されたもので、一丈二尺の仁王像は運慶の作と伝えられている。が、当時のものは首から上だけになり、ほかは後に造られたもの。

 この門の欄間や鬼瓦(がわら)には菊水の紋が使われており、この寺の位の高さとか寺勢の大きさとかといったものが、素人にも感じられる。

 収経所の東光院には、平安から室町時代にかけて書写された大般若経三十巻(市指定文化財)が残されているとされてきたが、丹後資料館の調査で六十巻あったことが分かった。

 最古の経には仁平二年(一一五二)の奥書があり、当時はこの寺を法隆寺と呼んでいたことがわかっている。この辺り一体が何鹿という地名だったこと、境内を流れる谷川は富緒川ということから住職は、かつては奈良の都と深いつながりがあったのではないかと考えているという。

 薬師如来が本尊で、とりわけ耳病におかげがある耳の薬師といわれ、谷川の水は薬水として古くから信仰されている。



第十一番 隠龍寺(高津町)

三蔵や十大弟子の像も


 観音様や菩薩様、如来様について語ったあと、「自分なりにいろんなことを学んでいる中で、今は実在した人物に心惹(ひ)かれている」と児玉哲司住職は話して下さった。

 何百年もの昔の僧が何を悩み、どう考えたか。千年以上も前に生きた三蔵法師が布教のために途方もない道のりを歩き、砂漠を越えてインドに渡った強い意志や使命感はどこからきたのか。

 書物の中で出会う先人たちの行動や言葉は説得力があり、僧りょとして人としての自分にヒントやエネルギーを与えてくれると言う。

 そんな住職がとても大切にしているのが、檀家の方から供養のためにと供えられた三蔵法師像と釈迦の十大弟子像。

 三蔵法師像は、今では珍しい乾漆(漆の液を長時間貯蔵して乾かした塊)で造られている。また、釈迦(しゃか)の十大弟子像は、天眼や説法、神通、論議といった釈迦の弟子の中でも、いろんな分野の第一人者十人の像。

 それぞれがその人独特の仕種(しぐさ)をし、その人らしい一瞬の表情を捉(とら)えているとの説明を受けた。木彫りなのに、衣のひだは布のように柔らかな曲線をかもし、品が良く淡い色遣いで細かな模様が描かれている。

 「壮大ともいえる長い年月。これだけ多くの人たちに支えられ、多くの人を支えてきた仏教のなんと素晴らしいことか」の一言が心に残った。
2000年(平成12年)1月21日付 掲載