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あやべ西国観音霊場巡り (4)
佛南寺、浄泉寺

第七番 佛南寺(里町)

檀家らで観音祭り復活

 市内で最も古く歴史のある当寺も、戦国時代には荒廃し、江戸時代に再興されたもの。本尊の釈迦如来座像や運慶作と伝えられる大日如来像など平安期の仏像が祀(まつ)られており、仏が教えを説く何鹿郡屈指の場であったことをしのばせるものが伝えられている。

 境内地と離れていたため一時期に独立した尼寺となっていた聖観世音菩薩を祀る観音堂を、平成九年に今の境内に移し、整備もなされた。

 本堂の前に立つ。と、左手の古木に目を奪われた。そんなに大きくはない幹のほとんどが空洞になっている。裂けて、向こう側にある土や草が見える部分もある。それでも頭上には深い緑の葉を繁らせて生きている。

 右手には小さなお堂があり、夜尿症に効くという地蔵が祀られている。ここにお願いをして五歳で夜尿症が治ったら五段の、七歳で治ったら七段の小さなはしごをお礼にお供えするのだそうだ。お堂の扉を開けて中を見せてもらうと、数多くのはしごが供えてあった。

 数年前に無住寺になったが、世話役の四方史郎さん(里町)などが中心になり、春と秋の彼岸講や十二月のだるま講などの行事を続けている。昨年からは八月の「観音祭り」も復活し、住民あげて寺を盛り立てている。



第十二番 浄泉寺(位田町)

20年以上続く水子供養


 数度の兵火により荒廃していたこのお寺を、天皇から禅師号を授けられた高僧・南渓存越大和尚が慶長年間に改めて曹洞宗として開創し、今に至っている。

 お寺を目指して家々の間の細い道を進むと、土塀越しに大きな石像が見える。石段を登って境内に着き、石像の前へと行く。左手に幼子を抱き、足元には二人の子が寄り添う水子地蔵だった。

 当寺の尾松正見住職は「先祖の供養をするのは当たり前。自分とは縁のない仏=無縁仏を供養するのが本当の慈悲ではないのか」という考えで年に一度、この世に生を受けることのできなかった水子の供養を、もう二十年以上も続けている。

 住職の思いを理解した位田地区の人たちは、自分の家に水子が有る無しに関係なく、この日は供養にお参りする。

 「寺としては古くもないし、これというものはないんですが…」と控えめにではあるが住職が見せて下さったのは、本尊が安置されている間の七面の欄間。

 六寸幅の柱と同じ厚みがあり、内側にはお釈迦様や仏典などに縁のある逸話を図にしたものが、外側には一般的な欄間の図柄、鳳凰や樹木が彫ってある。これは永平寺の仏殿の欄間と同じ図柄で、かなりの文化財的な価値があるものらしい。
1999年(平成11年)11月19日付 掲載