2019.04.05pickup01

和久株が和久祖霊社守り

伝統の株講 今も

光秀に滅ぼされた山家の和久左衛門佐の末裔ら

現在14軒で当番持ち回り

明治時代に「26人出席」の記録も

参拝後は料理旅館で歓談

現在の山家城址公園(広瀬町)は江戸時代の谷家の館跡だが、和久氏の居城だった甲ケ峯(こうがみね)城はそこから更に山を登った山中にある戦国時代の山城。和久左衛門佐(さえもんのすけ)は光秀に臣従することになったものの、城の破却命令に「一部は寺だ」として従わなかったため謀殺されたとも、逃げ延びて帰農したともされている。「何鹿郡誌」では謀殺の様子を「光秀、和久主従を亀山城に招待して饗応善美をつくして歓迎せり。帰路に伏兵を置きて和久主従を討果せり(陰徳太平記豹皮録白波瀬記)」と表現している。
和久祖霊社は西和木の山中にある(和木町で)

※詳細は紙面で。

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