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第14回FMラジオ歴史ウオーク「足利氏と安国寺」「黒谷の和紙」
本で出合ってきた黒谷和紙(下)
郷土資料研究家  山口正世司
黒谷を紹介した冊子

黒谷を紹介した冊子

 気が付くと「両丹紙漉村紀行抄」と書かれている。抄は書き抜きだから全体の文があるはずと求めるうちに『紙漉村旅日記』を入手。著作者として寿岳文章・静子と並べ、昭和19年7月、明治書房から発行されていた。

 この本は、昭和121010日から昭和15年3月30日まで、妻と記録を分担し協力して全国の紙漉村を行脚し実地調査した日記である。

そういう大仕事の1つが昭和13年3月22日の黒谷行で、その同じ昭和13年中に『工芸』『和紙研究』という当時日本で最も注目されている場へ迷うことなく黒谷和紙を推薦されたという経過で、そのことを翌昭和14年の『丹波民芸』に因縁多きと書かれたという広い活動の流れが浮かんできた。

 このように全国の紙漉村の実態を知りつつの確かな励ましと期待であったから、黒谷と寿岳さんの因縁は戦後さらに深まっていく。

 実物を入手していないので、書かれている文字をそのまま伝えるにすぎないので残念だが、前にも書いた「丹波恋しや」の中に、

 忘れられないのは、戦後、日本全土、写真の撮影が自由となったのを契機に、「毎日グラフ」

の昭和二十六年六月二十日号が、見開き二nを提供し、全村の美しいたたずまいから、包装された製品にいたるまで、黒谷抄紙のすべてを手ぎわよく十二コマに収め、初めてひろく紹介したときのこと。その解説を「紙つくる村」という題で書く私の心は、実にはればれとはずんでいた。「要塞地帯の関係から、写真の撮影は年久しく厳禁されていた。本誌のカメラがとらえたこれら一連の写真は、黒谷にとって、いわば天下晴れての初登場のわけである(下略)」

 と書かれている。そういえば『紙漉村旅日記』には、写真はもちろんのこと、要塞地帯の黒谷は地図も添えられていなかった。

 もう1つの本についても実物無しで、自信を持って説明できないのだが、『寿岳文章・しづ著作集5』の「あとがき」に、この本に収めてある「日本の紙」をめぐっての、さまざまな思い出が書かれている。この思いの深さはとても伝えられない。すじ道を要約すると

 昭和17年国際観光協会から、英文版『日本の手漉紙』を発行したが、きびしい検閲で発禁同様の処置に会い私を非国民扱いとした。

 私は、この本が、農家の人たちの作る強くて美しい和紙への、深い愛情から書かれた事実を示すために、日本語に翻訳し『日本の紙』と題して昭和19年出版した。

 戦後、英語が盛んになり、英文版の復刊の要請が何回となくあったが、峻拒した。しかし、英文での和紙解明書を求める願いが海彼の国々に強いので、昭和34年、新しく稿をおこし、京都府下・黒谷の紙郷に手漉製紙の全工程を求めた田中幸太郎氏の美しい写真も収め、

Paper-making by Hand in japan

の書題で新しく大判の一書を刊行した。ということ。

 このように黒谷の紙漉く村の写真は、戦後の自由を得、日本中、世界中へ伝わっていく。

 昭和45年9月には黒谷和紙の総合集とでも言うべき立派な本が『紙すき村黒谷』という題で黒谷和紙組合から発行された。

 紙すきの歴史と現在、紙すきの技、紙の見本、それに、紙布のことと丹波・丹後の紙すき村とが加えられている。

 表紙、木灰煮楮もみ紙型染。本文記、中村元。さし絵、金山ちづ子。紙布、河口三千子。本文用紙、丹波・和歌山・高知・茨城・長野・九州各産楮紙。見本紙、黒谷和紙組合等と書かれ、村の紙すきの歴史には残された古文書の写真も入れ、紙すきの技には和紙にふさわしい形と色のさし絵が技ごとにそえられ、見本紙はなんと百枚、説明書の番号と照らして見れる。布紙についても河口さんの記と見本があり、丹波丹後の紙すき村の文には、全盛の頃、丹波丹後併せれば一千軒にも及んだかと思われる紙すき村、と書かれ、各地の歴史が書かれていて貴重である。それにしても、この大出版事業に福知山の金山、河口2女性がこのように協力されていたとは驚きである。その所を得た働きには感じいる。

 その後、昭和52年には京都府が『京の和紙』を発行。蜷川知事、寿岳文章、黒谷和紙振興会長中村元、京都府伝統産業優秀技術者田中秀太郎(大江町二俣)、日本工芸会会員・丹波紙布作家河口三千子(福知山)の座談会、紙漉きの技には、あの金山ちづ子画のさし絵がそのまま使用されている。小冊子ながら、地元の理解を深める願いがよく表れている。

 昭和54年には『和紙研究』が28年ぶりに復刊された。その用紙紹介には京都府綾部市黒谷町 黒谷和紙組合と書かれ、その表紙や見返の紙は生き生きとした表情を今にしている。

 『紙すき村黒谷』の中から「紙漉きの技」だけをとり出し、21の工程に、美しい染のさし絵を主に置き、短い文を書くという、夢のような絵本が昭和60年に黒谷和紙振興会から出版されている。今まで本ばかりで黒谷に出会ってきたが、実際が見せて頂けるとか、楽しみである。

おわり