あやべ市民新聞 on web 現在の位置・・ホーム>>「足利氏と安国寺」「黒谷の和紙」>>景徳山安国寺について(4)
第14回FMラジオ歴史ウオーク「足利氏と安国寺」「黒谷の和紙」
「景徳山安国寺について」(4)
綾部史談会会長  山崎巖
地蔵菩薩半跏像

地蔵菩薩半跏像

仏像と墓所

 (イ)本尊釈迦三尊像 重文

 山門正面の仏殿の北側に法界定印を結んだ丈六の釈迦如来像が安置されている。この本尊の釈迦如来像を中心に、向かって右に獅子に乗った脇侍文珠菩薩と、向かって左に象に乗った普賢菩薩の三尊像が安置されている。製作年代は南北朝時代で平安時代の定朝の流れを継ぐ円派の豪円の作と言われている。康永元年(1342)光福寺が安国寺になった間もない時期に安国寺本尊として安置されたものであろう。端正な威厳のある寄木造りに金粉を塗った金色像であるが、只今は残念ながら京都へ修理に出されているので、拝観は明年以後になる予定である。

 (ロ)地蔵菩薩半跏像

 仏殿に向かって右奥に安置されている光福寺の本尊である。上杉清子はこの地蔵菩薩に祈り、尊氏を産んだと言われている(嘉元2年=1305)。現在もこの地方ではこの地蔵菩薩は、子安延命地蔵として地域の人々に信仰されている。尊氏も母親の影響もあり、また自分の人生で経験した多くの生死を分かつ戦場の修羅場をくぐって命長らえた運命の不思議さを思い、ますます地蔵信仰に深まっていったと考えられる。

 製作は平安時代で、左手に宝珠、右手に錫杖を持ち、肩から胸への豊満さ、頬から顎への充実感、然も体全体に衆生救済のみなぎる迫力が感ぜられる。もとは彩色像であったが、今はすっかり剥落している。毎年4月29日には法要がおこなわれている。

 (ハ)法篋印塔

 安国寺境内東側の山裾に苔むした3基の古い法篋印塔が並んで建っている。中央が尊氏、向かって右が妻登子(赤橋)、向かって左が母清子のものといわれている。前述したように、安国寺文書のなかに、2代将軍義詮からの御教書により、延文3年(1358)6月29日に尊氏の分骨、貞治4年(1365)7月16日にその妻登子の分骨が安国寺にされたことが明らかであり、当時寺によってこれらの法篋印塔が建てられたものであろう。3基とも無銘であるが、全体の形や九輪・隅飾り・格狹間(こうざま)等から南北朝時代といわれている。先年亡くなられた前の住職吉田老師が、尊氏の墓が戦時中よくひっくり返されて困ったと言っていられたことを思い出すが、尊氏ほど時代によって異なった評価を受ける人物は他になかろう。その背景はその当時から南

北朝正閏問題が論ぜられ(神皇正統記や梅松論など)、日本の歴史を通じ600年間正閏論が論ぜられてきた。明治になってもこの問題が国会で大問題となり、とうとう明治天皇(北朝出身)の勅裁で、南朝を正統とすることになった。昭

和初期、軍国化が進んでいくなかで南朝が正統とされ、従って南朝の忠臣楠木正成は湊川神社に祀られ、宮城や小学校の校庭にも像が建てられ国民的崇拝を受けるが、反対に尊氏は大逆臣とされた。現に私も戦時中その歴史授業を受け、逆臣尊氏として教わった。南北朝のしこりは戦後にも及び南朝から熊沢天皇(寛道)が名乗りをあげマッカーサーに訴え、さらに現天皇不適格確認訴訟がおこされて当時新聞を賑わした。然し戦後の歴史では、公家中心の復古的な建武新政の認識が見直され、それに対し、地方武士の動きとその要望を糾合した尊氏が、武士政権樹立の新しい歴史への行動が見直されて、今では正当な歴史的評価を受けている。

 (ニ)平成の尊氏像

 戦後尊氏については学問的にも研究が深まり、その人物像も見直されてきた。綾部でも安国寺が再評価され、それと関わり深い清子や尊氏などに市民の関心が高められてきた。

 今度、京都縦貫自動車道の建設に際し、綾部にインターチェンジが造成されることになったが、その名称が仮称「綾部東インターチェンジ」という名称で工事が進められた。これらを受けて地元や市民のなかに、安国寺の名称に出来ないかという運動と共に、この際尊氏の生誕地であることを周知させ、尊氏の功績を顕彰するために尊氏像を建立したらという声が高まり、平成14年7月30日、市内の企業や団体、及び自治会等に呼びかけて、第一回の尊氏の像建立実行委員会が結成された。その後委員会で検討された結果、名称を「綾部安国寺」とする案で請願運動をすることや、募金の具体案などが検討され、募金運動が展開された。多くの市民の協賛を得て、予定額800万円(1口1000円)が集まった。敦賀市の株式会社「ジャクエツ」に製作依頼し、設置場所は安国寺の国道27号線傍らのポケットパークにして、多くのドライバーに注目される場所が選ばれた。平成15年3月27日、知事、市長の臨席のもと、関係者、地元民など多数集まり竣工式が行われた。

 全高4メートル70センチ(立像2メートル20センチ、台座2メートル50センチ)。